出来るだけ日記

さくら紅葉
今年は梅雨明け以後晴天が続き、水不足で所によっては木の葉の成長不足とか、枯れ落ちるのが早かった。しかし、近年では珍しく猛暑日が少なく、しかも台風が少く、さらに毛虫の大発生がなかったので、この地方の桜の葉は元気に紅葉の季節を迎えた。早朝犬の散歩の途中で落ち葉を拾ってみた。
2009年12
30日
2009年もあと2日。私も68年の人生を通過することになる。あと二年。満70歳になった時には遺言を書き終えたいと思っている。その最大のテーマは、ある意味で最大の誤解者が多くの共産主義者たちであるマルクスの遺言の受け止め方である。多くのノー天気共産主義者たちは、共産主義を必然と理解している。労働者は、必ず共産主義に賛同し、その陣営に加わると考えている。そしてマルクスは、労働者階級が必ず勝利すると語ったと思い込んでいる。だから、リリーマンショック後の世界不況にたいし、革命の時代が始まったぐらいに思っている。特に中核派は。
マルクスは、共産主義革命を必然とは全く言っていない。唯一人類が、意図的に(主体的に)生み出す革命である、と言っている。マルクスは・エンゲルスは、それまでの人類史を、生産関係(下部構造)に規定された必然として論証した。その的確さに感動した多くの共産主義者たちは、マルクスの主張する共産主義革命も必然だと早合点してしまったようである。初めてマルクスの著作に触れ、学習会などに参加していた20歳代前半まで、わたしもそうであった。
共産主義を歴史的必然とする方法は、そのころ共産党員と議論する機会が会って、彼は私に、「スターリンはトロツキーに勝利した。それこそがスターリンが正しかった何よりの証明である」と勝ち誇ったように宣言した。そのときはスターリンソ連の諸々の社会的矛盾を指摘することで、スターリンが正しいとは言えない、という反論しか出来なかった。しかし今、正しい=必然性=勝利としたスターリン主義者の論法が、共産主義者の落とし穴であることがわかった。自らが最強の反スターリン主義者であると自認するかっての革共同の一派が、そのスターリン主義の論法そのものにはまっている。
29日
労働者派遣法改正案が示されたが酷いもんである。なにより、登録型派遣の禁止が5年の猶予、、製造業派遣が3年の猶予。これは逆の筈だ。登録型派遣は即刻禁止で然るべき。もう一つは、バブル崩壊以後、派遣労働の解禁が失業率を下げたことは事実。非正規雇用の全面禁止が果たして問題化帰結になるのか。一つは製造業の流出は事実である。製造業の流出を止めるには、生産性において中国に勝つこと。生産性とは単に一人当たりの生産量で優ることではなく、製品に添加される労働コストで優ること。中国人労働者の10倍の生産を日本人労働者が行なえば、製造業の海外流出は止まる。とはいえ、日本で開発された技術を持ち出し、中国で生産すれば、労働コストは10分の1ですむ。つまり賃金の同レベルかがなければ、製造業の流出は止められない。背景にそういうことがあっての非正規雇用の増大だ、ということをふまえて、どうするかが前提でないと、如何なる改定も、絵に描いた餅でしかない。
28日
今年もあと3日になった。今年は失業者数、ホームレス数共に昨年より多いそうである。だが今年は地方自治体がシェルターを用意し、就職や生活保護や住宅の世話もしているので、直接の危機感は少ない。昨年は湯浅氏などが緊急に、まさに民の力で年末派遣村をつくり、それが世間に周知を促し、行政をも動かした。これはやはり高く評価しなければならない。体制や制度を変えなければならないと叫んでだけ居ないで、やれることがまだあることを示した。経営に屈服して何もしない労働組合や、革命が起きなければどうにもならない、と言って何もしない左翼党派が、多くを学ぶべき1年であった。
26日
不況になればアメ横が賑わうそうである。少しでも安いものを買おうということらしい。そのうち闇市が生まれるのではないだろうか。いち早く闇市を作って儲けるという手を考えてはどうか。実際には、一週間ほど自然・健康食品の店を開き、高齢者を集め、もっともらしい講話をひらいて景品を前渡し、断れなくして高額の商品を売りつける連中がいる。若者が、きちっとした身なりをして、客と見ればきびきびした対応で、丁寧に、しかも親しげに声をかける。そういうマニュアルがあるのだろう。コンビに後の空き店舗でさっと営業してさっと引き払う。常設の闇市よりはるかに悪質な連中だと思うが野放しである。
ユニクロ不況と言う言葉がある。1年ほど前まで、不況にもかかわらず一人勝ちするユニクロは、不況にもかかわらず工夫と努力で伸びていく、ベンチャーの星のようにもてはやされた。それがここにきて、評価は逆転である。ユニクロも、それ自体アウトレット、闇市商法だということをやっと気づいたようである。貧民を食い物にする、仕入先貧民から買い叩き、貧民に売りつける。しかしそれが資本主義の本質であることも否定できない。
ところで、ジャンボ宝くじが売り出されたころ、1億円当たったら定期預金にして遊んで暮らすと人はよく言った。高度成長が末期に近づき、競争は激化し、労働強化でうつ病などが増えだした時代、自治体は収入を増やすためにジャンボを売り出した。当時長期提起預金金利は7%ぐらいで、1億円提起にしておけば年間700万円の利息がついた。その金額は今のサラリーマンの平均所得の1・5倍以上である。今1億円を最も高利率の提起にしても50万円ぐらい。つまり10億定期預金にしてやっと生活できるていどである。だったら、持ち金を取り崩して生活しても、一勝かかって使いきれるものではない。だから大いに金を使うべきである。自民政府は、相続時清算課税で住宅需要を喚起した。その上相続税を軽減した。そうではなく、相続税をアップして、贈与税を軽減する、はっきり言えば贈与税より相続税率を高くする。そうすれば高齢者はお金をあの世に持って以降とは思わない。なにしろ、年金受給者は働かずに収入がある。現役世代と違って、病気になった時の備え以上の預金の必要はないのだから。
25日
鳩山処分なし。秘書だけが在宅起訴と罰金刑。テレビで、庶民感覚と違う人間がさかんに庶民感覚と違う、と騒ぎ立てている。騒ぎ立てている非庶民は、人気や視聴率が落ちれば仕事を失うから、庶民迎合の発言をする。庶民も馬鹿が多いから、みのもんたを庶民の味方だと思ってしまう。本当に庶民の味方なら、庶民の先頭に立ちデモでもしてみれ、と言うんだ!。
ところで、来年度予算大綱が発表された。各界から「成長戦略が見えない」という大合唱である。一体何を言っているか自分で分かっているんかい?国家予算での成長戦略は歳入拡大のはずだ。方法は税収拡大、国営企業の収益拡大、借金としての国債発行しかないはずである。かっての帝国主義時代であれば侵略や、戦時賠償をボッタクルという方法もあったが。
国内経済成長に対して国家がやれることは、規制緩和と減税。金利引下げ。それで手詰まりになったら、国家が借金して公共事業をやる。規制緩和の一つ、国営企業の民営化はすでに随分行なわれている。減税は国家運営がすでに行き詰るほど減少している。そのうえ国債発行には反対の大嵐。国に景気回復、皆が言う成長戦略など、国にできるはずが無い。どうしても国に成長戦略を求めるなら、儲かる事業の国営化、増税を認めざるをえない。自由主義とは、企業の自由な金儲けを促し、国家はそのこてで得られる税収で、出来るだけ最小限の費用で行なうべきだ、というものだ。であれば、成長戦略は企業の責務であるはずだ。それを国に求めると言うことは、国家の経済運営への関与を強化することを認めるべきだ。結局企業は、減税と規制緩和を求める。サラ金金利の自由化。賭博解禁。カジノを作れとの大合唱だが、カジノがそれだけで存立はしない。ラスベガスだけでなく、カジノで潤う地域は、観光産業との並存、そして観光産業といえば底には麻薬、売春が日常化している。もしかしたら財界のカジノ設置論者たちは、売春禁止法廃しを目論んでいるのではないだろうか。
23日
鳩山・小沢名コンビ説。
マスコミや世間は、鳩山にはリーダーシップが無いとか、小沢独裁だという見方が広がっている。しかしそうした味方は完全に偏っている。おそらく自民党側、あるいは隠れ自民党の陰謀だろう。
民主党議員は新人が多く、何も語れない、何も出来ない議員が多い。いっぽう大臣になった議員は、野党時代からそれぞれの分野で与党政策を精査し、批判し、自分の考え方を作り出してきた強者ばかりである。相手が鳩山だろうと小沢だろうと遠慮なく物を言う。したがって内閣がバラバラだという印象を与える。しかしここで総理が小沢だったらどうなるか。いきなり正面衝突して内閣が空中分解するか、小沢側近だけで内閣を固めて、民主党が分裂するか、だろう。鳩山はすべての意見を聞いていろいろ考える。だから決断が遅れる。そこへそとから小沢が助け舟を出す。なによりマニュフェスト違反だという声にたいし、マニュフェストにも優先順位があり、かつ場合によっては適切でなかったと、民主党自身が考えることもあるだろう。しかも、マニュフェストが即時実行だったら、だれも理想論など語れない。マニュフェスト実現までの行程を検討する時間は与えられるべきである。
小沢が助け舟を出し、背中を押すことで鳩山は安心して一歩踏み出せるし、異論者も強弁を貫かない。揚げ足取りの批判者がいなかったら、今の内閣は実にうまく行っている。だからこそ自民党の不安はつのるばかりである。
但しコンビというのは、一方が、自分が損をしていると思い出したらたちまち相互不信から対立へ変わってしまう。批判者の狙いはそこである。
麻生政権時代、自民党はどうだったか。皆、麻生を必死に支えているようで、実は裸の王様にしてしまった。それが自民党大凋落の原因であった。枡添えは、自民党にも小沢なみの独裁者が必要だと言ったがそれは違う。小泉独裁が自民党に何をもたらしたか彼は全くわかっていない。リーダーシップは、補い合うコンビとか、トロイカがいい。それが議院内閣制の利点である。アメリカが大統領制で如何に多くの誤りをしたか、再検討すべきである。
22日
大阪市の南の玄関口はJR天王寺である。南海は難波から和歌山まで路線があるが、JRの紀伊半島、関西空港方面の基点が天王寺である。天王寺と道路を隔てて近鉄阿部野橋ターミナルがある。ここは河内、吉野方面の基点である。この阿部野橋から15分以内で、松原、藤井寺、羽曳野北部の住宅地がある。今朝電柱に貼られた広告で、一戸建て大型車庫付1850万円とあった。この付近で今売出し中の14階建てマンションも、たしか2LDKで1500万ぐらいである。4年ほど前、この地域のマンション価格は底値といわれていた。そのころ3LDKで2800万ぐらい。1年後には3000万ぐらいまで値上がりした。その後、住宅取得優遇政策が一巡し、再び住宅価格は値下がりに転じた。2年前には3LDKは2400万ぐらいまで下がった。そのころ戸建の平均は2800万ていどで推移していた。しかしリーマンショック以来急速に値下がりし、2000万をきるマンション(新築)が売り出され、ついに戸建も2000万を割り込んだ。つまり3ねんから5年前、不動産業者や建設業者はしこたま儲けたかといえばそうではない。その時でも、そうした業種の倒産は続いていた。ようやく生き延びた業者がそういうことをやっている。如何に工夫しても、そうすぐに安価に家が建つわけがない。もちろんバブルのころ、彼らはたらふく儲かった。しかし経営は一時的に儲かればいい、というものではない。永続性こそが肝要である。
20日
豚やりんごなど、農産物を担保に融資するシステムを開始したそうである。これはどのような問題か。
現代世界経済(日本でも同じ)の特徴は、生み出された金融資産が、正に搾取によって、搾取する側にはあふれかえっているのに、一方で再生産に回らない。これはいわゆる資本主義経済といわれるシステムでは必然的に起きる。その結果富の分配が停止し、一方で貧困どころか飢餓、餓死が発生するし、反対側には使っても使ってもふえるマネーに埋もれて堕落した人生、いわゆる身を持ち崩す階層が存在する。
余談だが、身を持ち崩す階級にあこがれて、金持ちになることこそ人生の目的だ、と考える貧困階級出身者は、ほとんどが人格品性を疑われ、破綻していく。最近の芸能界の麻薬事件や、ホリエモンなどはその類だ。
マルクスはこの問題を資本主義経済の宿命だと考え、最後には所有様式の変更、つまり私有財産制の廃止を考えた。他方経済学者は、一方に有り余ったマネーを必要とするところに移転する手段を考える。ケインズ主義はその代表である。
日本では、銀行の融資といえば担保は土地であった。土地以外でも定期預金や株などの有価証券や、家屋、機械などの償却資産も担保になった。また担保が無い場合は保証人であった。ただし保証人、特に貸し手が歓迎する連帯保証人は、借り手が破綻した場合連帯負商人がその資産を取り上げられ、生活破綻する場合が多く、連帯保証人になる人が少ないうえに、貸しても貸し金を完全に回収できない場合が多い。そこで生命保険加入を条件の融資制度もあるが、これはまた、返済目的の自殺や、回収目的の殺人が起きる。
生命保険のような資産担保以外の融資方式が生まれた背景は、資産担保の融資が限界に達し、新たな融資方式を発明しない限り、融資限界に達して、経済循環が滞るという問題があったと思われる。生命保険担保や、将来の価格上昇を見込んだサブプライムローンなどの方法はそういうなかで発明された。
不動産担保の条件は、担保物権を売却すれば融資額が回収されることである。不動産需要の多い都市部ではその方法は有効である。しかし農村部では、特に日本では農業経営が難しく、離農が進んでおり、もちろん農村部の人口も減少し、農地としても住宅地としても地価(評価額)はほとんどゼロになっている。そういうなかでどのように農村部にマネーを循環させるのか。
従来は、主な方法は次のことである。
列島改造政策に基づく、工業の分散化。同じく道路や鉄道建設。
故郷創生事業、リゾート法による観光施設建設。
農業構造改善事業による、ダム建設、干拓、農地改良事業。
これらは国家資本の直接投資で、土木建設事業により、地方、農村地域にマネーを循環させたことは確かである。しかしそうした事業が新たな地域産業を生み出し、再循環連鎖を生み出すことは無かった。それらは国家財政では垂れ流しでしかなく、しかも財政危機で、垂れ流し資金が枯渇しつつある。
そうした資金の垂れ流しは、農林中金が主体と成り、農協経由で行なわれた。農家の借金は「ある時払いの催促なし」で、返済期限が来れば再融資が継続された。そうした農家の借金は、民間金融機関で言えば全てが担保不足による不良債権である。
問題はそうした不良債権を追加融資で表に出さないための政府資金が欠乏し、その結果不良債権が一気に表面化する危機がある。いうなれば、負債を抱えや農家にとって、自己破産して担保を取り上げられたとしても、損失はたいした額ではない。しかし、たちまちにして生活手段を失うことは確かである。なんとかして資金を地方農村部に流す必要がある。そこで編み出されたのが、農産物担保融資である。これは、企業のボーナス資金にたいする繋ぎ融資みたいなものになるだろう。一時的資金ショートによる破綻を防ぐ意味では有効だと考える。しかしそれが不良債権にならないためには、農産物価格アップか生産性向上が条件となる。そして最後には、資本主義の問題に衝突する。
農村の貧困は、農業生産物と工業生産物の負等価交換が原因である。等価交換すれば工業経営者は利益を上げられず、工業への投資を放棄する。それはそれで短期的には都市住民の生活は破綻する。
しかしまた、資本主義を廃止すれば解決する問題でもない。これは地球規模での問題であり、しかもその減少は地球上一律に起きている問題ではない。観念的共産主義者は、貿易で結ばれた世界経済の中で、一国内での共産主義社会創造の不可能に気づき、世界同時革命論を思いついた。しかしこれも全くの観念論でしかない。同じ農村部でも、都市近郊では都市の価値観が影響を持ち、土地担保融資方式が生きている。むしろそこでは、農業で利益があがらなくても、農民は裕福である。同じ農民でも、都市近郊と遠隔地で、抱える問題は全く違う。もちろん都市住民(労働者)もまた違う条件を抱えている。それらは一律の方法で解決はされない。したがって同時革命は、物理的にも理論的にもありえない、空想の世界の問題である。
19日
同一労働同一賃金という考え方がある。同一種労働では、同一時間に生み出す価値は同一である、という考え方に基づけば、それは当然のことである。しかし一方で、賃金は労働者の生活費である。生活費が高額な、例えば地域差によって家賃や食料費が違う。したがって地域によって賃金が違う。つまりこれは、同一労働同一賃金という原理に矛盾する。
機械化が進む前は、労働者それぞれが生産する価値は、労働者の能力によって違った。したがって同一労働同一賃金という原理そのものが存在しなかった。機械化が進み、分業が進み、労働が単純化することで生まれた原理である。
同一労働同一賃金は日本の年功型賃金体系と矛盾する。日本の場合熟練度によって賃金が違うのは当然だ、という考え方があるが、熟練度を言うなら、能力給のほうが正しい。
電気労連で、一時同一労働同一賃金への移行を試みたことがある。だが若年労働者には支持されたが、高齢者には支持されなかった。40代50代になると、子供の大学期となり費用が多くかかるし、住宅ローンの負担もある。したがって、年功賃金で得た収入水準が減らされては困る。だが4,50代並みの賃金で同一賃金を決めれば、製品価格が上がるか、企業利益が圧迫され、経営が成り立たなくなる。つまり年功型が標準となっている情況からの転換は簡単にはいかない。
但し日本でも、鉄鋼や造船など、あるいは土建業などでは、年功賃金傾斜は少なかった。土建業は日雇いの性格が強く、単価は低くなかった。しかし、年齢給はない。鉄鋼造船などの旧時代の基幹産業は、事務職と現業職は給与体系が違っていた。事務職は年齢給、現業職は同一労働同一賃金により近かった。電気産業などの新しい産業は、新規雇用の賃金を押さえたために、必然的に年功型賃金が定着した。
住宅ローンについては、若年者の賃金が上がれば早く住宅取得が可能となり、4、50代になってローンが重くのしかかることは無い。高校や大学の学費が低く抑えられれば、年齢給の必要はない。その結果、同一労働同一賃金の条件が生まれる。
例えば年金。現役時代の50%とされている。これは私自身で言えば退職時の25%である。金額的に言えば、高度成長時代初期、初任給が2万円の時代から、退職時60万(オール込み)の平均の半分だからそうなるのだが、たとえば退職直前にインフレが昂進し、数年で何倍かに賃金が上がった場合、退職時と年金の比率はさらに高くなる。つまり退職時賃金より20%とか15%になることすらある。
年功率の低い場合は、退職時の賃金と年金の差は低くなる。
現在の年金はある程度物価スライドする。しかし地域間格差スライドは無い。首都圏に比べ九州の賃金水準は0・7ぐらいであった。したがって年金もそのくらいの格差がある。九州で現役を終え、首都圏で年金生活を送ると生活は苦しくなるが、その逆の場合豊な生活が可能となる。定年後田舎暮らしを推進することは、過疎化問題を抱える田舎への移住を促す上でいいことだが、医療問題の改善が必要になる。今のところ、地域間格差はいいのかもしれない。ただし地域間格差は、同一労働同一賃金と矛盾する。
18日
公明党が、中国副主席と天皇の会見を「政治利用に当たらない」との見解を出した。公明党の親中路線、中国でのこの会見に対する評価を踏まえてのことである。つまりここでこの会見批判に組することは党利に反すると判断した。ということはやはりこの問題は、政治的というより、党利的である。会見のごりおしは、中国主席の民主党議員との全員握手への返礼であり、中国政府の間接的小沢支援である。それを批判する自民は、それこそなんでも民主党のあら捜しをしている。つまり、党利以外で議論することこそ、政治音痴に仕業である。宮内庁長官の激怒は、かって馴れ合ってきた自民党政権の崩壊にたいする不安であり、自民党への側面支援である。
子供手当ての所得制限を民主党が打ち出した。これが公約違反だと一斉に批判が噴出している。民主党は、子供手当ては少子化対策であり、子供は社会で育てるという理念に基づくのだから、所得制限はしない、と語っていた。ところが財政難から一律支給が困難となった。だから社民党などが主張した所得制限を民主党が打ち出した。揚げ足取りはいろいろ言う。さらに、小沢主導だという。だがこれは、小沢が投げた、鳩山内閣支援である。内閣がマニュフェストを反古にしたのでなく、民主党がそうした、ということにする。
これは理想と現実の折り合いの問題である。理念として無条件がある。しかし現実は、所得格差、財政危機がある。そこでどうするか、という問題である。理想として無条件を掲げているので所得制限をすべきでない、と言う意見は、揚げ足取り、言いがかりでしかない。問題は制限が年収2000万というところにある。事実上無制限に近い。であるなら制限を形だけつけるという姑息なしゅだんであり、それこそ理想の放棄になる。制限を年収500万にすべきである。その上で扶養控除の削減。年収1000万以上の扶養控除の廃止。現実問題として、子供を生み、育てている年代の年収平均は300万程度と思われる。子供が大学年代に達した年代でおそらく年収500から600万ぐらい。1000万を越す世代はもはや孫のいる世代である。
子供手当てが親世代の生活費になり、子供の教育などに回らないという批判があるが、その批判も言いがかりである。貧困世帯への手当てが教育費に回らないのは当然である。そこは高校無償化で対応すべきである。就職氷河期より若い世代が家庭を持つことが出来無いものが多く、それが少子化の原因となっている。つまり格差社会が問題の本質である。そこへの対策が基本ということを忘れてはならない。
この間の野党自民党の政府批判は、何でも反対の旧社会党より酷い。旧社会党は非武装中立という理念に基づいた批判をした。自民党は、民主党と基本利害が一致するから、批判は揚げ足取りにしかならない。自民党の分解は確実に進んでいる。
17日
物事は全てが多元的であると考えるほうが正しい。天皇の行事には一ヶ月条項というものがあるそうである。それを民主党が、小沢訪中の時に約束したかどうか知らないが、中国副主席訪日の際、天皇との会見を民主党政権が強引にねじ込んで実現した。これが大騒ぎになっているが、それぞれの根拠がバラバラである。批判の根拠はきりが無い。
一ヶ月条項。最も声高なのは宮内庁。その尻馬に乗った自民党は、天皇の政治利用だ、という。これには共産党も同調するが、共産党の根拠は自民党とは正反対、つまり天皇の権威復活反対である。それに、単に民主党に反対し、なにかとけちをつけようという輩が騒ぎ立てている。
中国政府はなかなかしたたかである。鳩山政権は慣例を破って中国高官を優遇した、と報道する。これを受ければ、民主政権の安定に反対する連中はさらに危機感を高め、騒ぎ立てる。中国にとっては、鳩山政権を持ち上げることで貸しをつくる。その上今回訪日した副首相の権威を高め、次期政権への求心性を高められる。だがもし、中国に日本の天皇に恨みを抱き持ち続ける者がいたら逆効果だろうが、おそらく中国政府は、中国人民は日本の最高身分者に認められた者、として尊敬するだろうという読みだろう。
この会見を最初に提案したのは中曽根康弘であったことがあきらかになった。それは自民党にとってばつの悪いことであるから、さてどうするか。
小沢はそもそも一ヶ月条項は誰が作ったんだ、と一ヶ月条項を盾に取る批判者の逆批判を行なった。その上で天皇の国事参加は内閣が助言するという憲法を盾にして、政治利用論に逆襲した。ところでこの会見を、中国政府は最大限政治利用した。だから今回の会見は政治利用だ、という批判の声は高まるだろう。だが国賓などの訪日に天皇主催の晩餐会をするのは政治利用である。もし厳密にいうなら、天皇が政治に関与することを禁止するなら、彼の参加は皇室の伝統儀式のみに制限すべきである。そんなことをうだうだ行っていても実に下らない。ここは客観的に見るべきである。
天皇制は、否定しようと肯定しようと現実に存在する。それを日本政府が利用するのは合理的なことである。天皇制否定論者が天皇の政治利用を批判するのは、言論の自由というだけの意味しかもたない。その上で、現実的に見れば、鳩山政権のあら捜しに明け暮れる連中より、中曽根は日本のことを考えていることは確かだ。これからは中国との関係が一番重要である。いろいろの事情で中国国家の国際的位置は低迷したが、その巨大さは歴然たる事実である。それが拡大へと動き出した。いずれ破綻するとしても、成長なしに中国国家の安定は無い。したがって中国政府は国家投資を継続拡大するしかなく、唯一の世界成長センターとしての地位は固まった。そこにたいし日本が主導権を握れる可能性は万が一にも無い。したがって中国重視という選択は、国家主義者としては正しい。そのなかで日本国家が周辺国として、内的バランスを崩壊しないようにするのが日本政府の役割である。もし、中国を日本の国益の障害となるとして対立政策を取るとしたら、日本国は国家存亡の危機を迎えることになる。もっとも日本国から捨て去られようとしている非正規労働者にとって、日本国家がどうなろうと関係ないことだが。
16日
金剛、葛城が白く雪に染まっている。しかも標高300か350mから上だから、かなり冷え込んだのだろう。
ところで普天間の海兵隊基地移転問題への、取り組み方?が先送りされた。それで日米間の信頼関係が揺らぐと大騒ぎしている。そもそも海兵隊基地はグァムに移転することが決まっているはずである。その引越し資金も日本が負担することになっている。ただ日本側の都合で言えば、普天間が周辺問題でそこまで待てないから、とりあえずキャンプシュアブへ移転しようということが決まっている。それが白紙になるかどうかということらしい。そこで、沖縄で無く国内の何処かとか海外とか騒いでいる。どうしても出て行ってもらいたいなら、グァム移転を早めるよう交渉すればよいはずである。日本政府の金の問題があるのかもしれないが、だから普天間の扱いを先送りするとか言う問題ではないだろう。
日米関係を騒ぐこともわからない。アメリカの核の傘が日本の安全に関わるというなら、グァム移転に反対すべきではないのか?そうではなく、普天間撤去の取り扱いを巡る駆け引きの行き戻りで心配するのはおかしい。
米軍は出て行け、という場合日本の安全保障はどうなるの、という議論が出てくる。基地容認と日本非核武装がセットになった主張がある。非武装こそが日本の安全保障という主張がある。基地は要らないが日米同盟は大切であり、それが日本の安全保障になるという主張がある。
アメリカにとってどうだろう。同盟国として一番安心できるのは、相手国に基地があることだろう。たとえば北京政府を正式の中国と承認したとき、台湾政府との関係は同盟で無くなった。台湾政府への武器輸出はするが、基地はおかない。そうでない限り北京政府はアメリカを友好国と認めない。しかし中国に米軍基地は置かない。基地のある日本と、基地の無い中国。どちらがアメリカにとって同盟国か?。アメリカは対中関係を重視するからこそ、日米同盟が重要となる。しかし、あからさまに中国が脅威を感じる日米同盟は、米中関係の障害であるから、海兵隊をグァムに移転する。アメリカから見れば、日本からの基地完全撤去は、日米関係が米中関係と同レベルになることである。そうすれば経済的にはるかに大きい対中関係が重要になることは歴然としている。つまり日本にとって、米軍基地完全撤去は、国際的地位低下である。そこから北の誰かと同じく、核武装論が出てくる。
15日
ふたご座流星群は流星群の中でも、毎年安定的に出現する流星群で、流れ星を見ようと思えば、一番見やすい流星群である。しかしなにぶん寒い時期なので、どうしても見ようという気にはなりにくい。今年は暖冬で、条件は良かった。犬が夜外に出たいというので、ついでと思い出たが、なかなか空の見やすい所に行ってくれない。それにちょうど雲が多く、あらためて出直す気にもならなかったので、今年はパスということにした。
13日、甥(弟の息子)の結婚式に行ってきた。弟は4年ほど前、定年退職後2年ほどで癌で死亡した。その直前に大学を出て就職していたので、弟も少しだけ思い残しが軽減されたと思う。ただ残された遺族(弟の奥さん)は、遺族厚生年金(本人の基礎年金は支給されるまであと二年あるので)だけになるので、経済的に苦しいのではないかと思っていたが、結婚式はディ−ズニーランドのところにあるホテルで、聞くところによると、そこでの結婚式は首都圏でもセレブになるとかで、私としても一安心したわけである。
至れりつくせりの披露宴は、初めての体験であった。昔、昭和20年代後半から30年代前半ごろ、新生活運動というのがあり、公民館結婚式という質素な結婚式が提唱された。どうも結婚式の華美さ質素さは、地域差もあるようだが、日本経済の成長と共に派手になった。しかし近年では、結婚できない貧困層も増えているし、結果として少子化、社会」の高齢化という問題にもなってきている。新郎26歳、新婦24歳という結婚は、成田離婚にでもならない限り、天晴れとしておこう。
11日
仕分け作業が教えたのは、無駄が本命ではない。物事には多様な側面があり、けっして一元的ではないということである。ところが、仕分け委員会で今までとは違う視点からアプローチされると右往左往する。つまり今まで、如何に一方的な考えで政策が実行されていたかが良く分かる。
連立政権で最大の問題は、亀井の要求ではなく、あきらかに対米関係である。だが何故そうなのか、実はその理由が実に多面的である。日米同盟が重要だということは、今や共産党もあからさまには否定しない。だがその理由は何か(日米同盟が重要だという)。
冷戦時代ははっきりしていた。アメリカにとってソ連の、あるいはソ中の日本囲い込みが問題であり、あきらかにアメリカにとっての防衛ラインであった。地域的には朝鮮半島、台湾海峡の防衛ラインを守ることが直接のテーマであった。日本にとっては、少なくとも富裕階級にとってはアメリカ依存であった。最大の市場アメリカと同盟関係を持つことは、産業界にとっても、したがって労働者にとっても、少なくともルーブル経済圏にあるより、はるかに利益があった。したがって日本には、アメリカに守ってもらう、というコンセンサスが成立していた。日本はアメリカに基地を提供し、思いやり予算まで提供した。一方的なアメリカの防衛ラインとして、アメリカだけがその効果を受け取っていたら、日本の反米、反基地運動こそが日本の国民的合意事項となっていた。
ソ連崩壊後の今、日米同盟の合理性はどこにあるのか。日米同盟が機軸だと主張する側は、その点を明確にすべきである。それを語らないまま、鳩山政権の右往左往に、日米関係悪化で恐れおののいている。もっとも、鳩山政権内には、冷戦終結によって日米同盟の意義は変わった。米国の市場としての重さも変わった。したがって日米同盟も変わるのは流れだ、という見方があることは確かだ。ただしその線でアメリカに働きかけたら、アメリカはそれを認めなかった、ということで右往左往が生じている。
基本は、日米同盟の位置づけが今後どうなるのか。どうすべきか。という問題である。過去において自民党は、ソ連、中国の脅威がその根拠であった。今その根拠は北朝鮮に矮小化している。小沢が、第7艦隊で十分だというのもうなづける。しかし、それでアメリカが納得するかどうかは別問題だ。アメリカにとって、かって日米同盟は相互にメリットがあった。その分、力を見せ付けずに日本の同意が得られた。しかし、アメリカの地位の低下、中国の台頭で、対日関係は、力なしに日本をポチと出来なくなってきている。客観的には、交渉するうえで、日本に有利な条件が膨らんできている。それをどう出来るか、という問題である。
日米同盟反対という立場であれば問題はなにもない。ただし、日米同盟にどっぷり浸かった政治経済体制をどうするか、という提案なしに安保破棄が多数派となることはない。
沖縄からの米軍基地撤去が、地域に何をもたらすか考えなければならない。
沖縄経済は、基本は農業である。だが実際は観光と、そして最大の比重を占める基地である。基地が無くなり、現金収入をもたらす産業の主力が観光となった場合、どれほどの集客力があるのか。確かに自然の観光資源は豊だが、国内交通に要する費用が、外国へ行くより高いし、ホテル代も高い。もっと南の島へ行ったほうが安くつく。その問題が解決しない限り、集客力は大きくならない。食材については、トロピカルフルーツ以外、日本本土から、あるいは台湾、中国、韓国などから輸入しなければならない。人件費は日本の最低賃金法で規制される。つまりコストダウンには限界がある。その上、富裕客を集めるにはカジノがない。観光立県で沖縄経済の浮揚を図るには、特区にするしかない。それは基地問題と別の問題をもたらす。日韓中台のマフィアが大喜びする。
思いやり予算削減に対し、基地労働組合が猛反発している。沖縄の平均賃金はおそらく東京と比べたら60%になるかどうかだろう。そのなかで基地労働者は国家公務員に順ずる賃金が支給されている。そのほか基地があるために、国家予算からは特別の配分がある。それが無くなれば、沖縄経済は30%を下らない縮小をするだろう。
沖縄にとって、脱基地経済にどのような未来図を描くのか。社民や共産党はどうなのか。
7日
世界を一つの経済単位で見れば、借金の総額と貸し金の総額は同額である。つまり貸し借りなし。日本を一つの経済単位で見た場合、個人金融資産は1500兆円。国と地方の負債は900兆円。残りが個人の借金ならプラスマイナスゼロ。だがおそらくそうではない。日本という単位では負債が少ないはずである。外国債券や株などで所有されている。つまり貸し越しだろう。その差、つまり国外に逃げている金があるから、国内で必要な金が不足する。つまり富の偏在。これが行政を麻痺させ、経済を麻痺させている。そのことを問題にせずして医療費の増加だけを問題にしても、解決策は見出せない。
阿久根市長は、医療が進歩したから障害者が淘汰されなくなった。あたかもそれが財政を圧迫しているような言い方をする。確かに医療は進んでいる。それが文明である。当然進歩のためのコスト、それを利用するためのコストは増加する。それを、負担するのが社会の進歩である。それを否定したら文明の否定である。そのことを理解していないで、事実を言っているだけで、何が悪いと開き直っている。彼が実害を及ぼしたかどうかは知らないが、文明を否定したら政治に関わることは自己否定である。リコール間違いなし。ただ、発言に対する感情的リコールで終わるなら、進歩は期待できない。
6日
テレビで「男たちの大和」を見た。長島一茂演ずる誰かが、「一体この出撃に何の意味があるんだ」ともめる部下たちに、古来日本人は「敗れて知る。その、知るための礎になるのだから、犬死ではない」と説得する場面があった。
南京大虐殺については諸説あるが、軍艦上から目撃した兵士が証言する集まりがあったと新聞が報じた。
敗れて知らない者も多いことが事実である。そして、命令とはいえ罪を犯し、自分の負い目からくちを閉ざす者も多い。しかし、例え自分の責任であっても、口を閉ざさず語ることで、はじめて「敗れて後知る」ことが出来る。敗れてなお知らぬ、したがって戦争を否定しない人間の言論も封じるべきではない。
ところで共産主義運動も同じことが言える。敗れて後知らぬ連中は、敗れた理由を、スターリンや毛沢東の誤りのせいだ、と決め付けて、自分たちは間違っていないから敗れない、と思っている。スターリンに性格的欠陥があっただろう。しかしスターリンも毛沢東もポルポトも、大真面目に革命運動をやってきたはずである。私利私欲でやるとしたら、革命運動ほどリスクの高いことはない。私は彼らが遊びで革命運動をやった、とは思わない。しかし間違った。人類の歴史に大いなる負の遺産を残した。それは、共産主義運動に潜む危険として、重く受け止められなければならない。多くの共産主義者は、敗北は他人の誤りのせいだとして、自分の方法論の総括を行なっていない。
5日
人の生活にとって一番安定的であるのは、蓄えをしておくことではない。宵越しの金を持たない、で出来る生活があればそれが一番安定的で、しかもエコな生活である。
地球にとって一番安定的状態とは、毎日降り注ぐ太陽エネルギーを同じだけ宇宙空間に放出することである。そのバランスが狂えば、温暖化とか氷河期になる。
人体は、摂取したエネルギーと燃えカスを同量だけ消費し、排出すれば健康が維持される。代謝量が大きすぎるとやせ衰え、少ないと肥満になる。
4日
鳩山家が大資産家であることはよくわかった。古来政治は金持ちの道楽みたいなものである。金持ちだからこそ見識を広げる機会もあり、その結果として公平な為政が出来る。貧困者出身の政治家は、大抵偏った政治を行い、とんでもないことを起してしまう。しかし金持ちは、単にボランティアで政治をやるのではない。資産を守るためにやるのである。ところがやってみると、なかなか思うように行かず、つい資産をつぎ込んでしまい、失敗でもすれば破産してしまう。鳩山家の資産が母親のものであることは、鳩山家自体が大富豪であったわけではない。現代の日本の大富豪石橋家、ブリジストンタイヤの創業者石橋正二郎の娘と、鳩山兄弟の父威一郎が結婚したからである。財閥石橋家と政治家鳩山家の婚姻は、それぞれのメリットがあってのことだろう。
正二郎の父徳次郎は、ドイツ人からゴムの技術を学び、地下足袋を発明し、日露戦争か何かで大もうけをして石橋財閥の基礎を築いた。事業は長男、2代目徳次郎に譲ったが、次男正二郎はタイヤの事業を起こし、それがモータリゼーションに乗って財閥を形成するに至った。正二郎は久留米市に美術館を寄贈し、石橋文化センターとして、多くの世界的美術品を所蔵している。東京にもブリジストン美術館がある。
福岡県には、他に、出光佐三、安川だいごろう、麻生などの財界人が居た。出光は現在の福岡教育大の敷地を寄付した。
麻生は吉田 茂と結んで麻生太郎を総理大臣にし、石橋は鳩山と組んで邦夫を総理大臣にした。どちらがどうとは言わないが、麻生の上から目線の物言いは、いかにも石炭、セメント成金の柄の悪さを感じさせ、モータリゼーションの石橋との差を感じる。
私の家系は、石橋と少しばかりニアミスしている。父方の祖父は、2代目徳次郎と久留米商業の同級生である。向こうは久留米商人として大成功し、祖父は久留米藩江戸屋敷出身の士族として、どうも時代から置いてけぼりを食ったようだ。九州電力の前進の会社で課長をしていた時が彼の絶頂だったようだ。久留米で2番目に自転車を買ったのはわしだ、という自慢話は聞いたことがある。だが、後の電力王松永安佐衛門(部長)と喧嘩して辞め、そのご、すまじきものは宮仕えとばかりに、商売をしたらしいが、武士の商法でうまくいかず、私の父の学費は、私の祖祖父が出したそうである。そのため、祖祖父と祖父は大変仲が悪かったらしい。
祖祖父は農家(平民)出身で、ハワイ出稼ぎでつくった資産を元手に、はぜやこうぞの仲買をやっていた。叔父の縁談の時、叔父の奥さんの話では、祖父のことが、何故士族が平民に養子に行ったのだろうと問題になったという。1950年ごろの話である。
祖父は、福岡で言えば「じゅうげもん」熊本で言えば「もっこす」という性格のようだ。
2日
二日続けての快晴の朝。雲ひとつ無い、といいたいところだがよく探すとある。昨日は生駒山の左(北)おそらく京都方面の方の低空に僅か、今日は金剛山にかかる笠雲が一つだけ。晴れ晴れと気持ちがよく、きれいな日の出だが不気味でもある。それはともかく、今日当たり二上山の南にある、竹之内峠からみたら目の前にある、鹿谷寺遺跡のある山から日が出た。初日の出はさらに右の、竹之内峠の右の山から出るので、日の出る位置も季節によって随分変わるものである。公転軸にたいして自転軸が30度ほど傾いていることに感謝。もしこの傾きがなかったら、地球に生物が生まれたか。もし生まれていても、人類は赤道を越えられなかったかもしれない。などと考えながら犬の散歩をする。
本当に昨年から、早朝夫婦で散歩する人が多い。6年前は犬ブームで、町内の公園では犬の散歩仲間がたくさん出来たが、先輩の犬たちが次々と世を去り、飼い主も年を取り、今年あたり、六年ぶりぐらいの子犬ブームだが、6年前には及ばない。毎朝顔をあわせる顔ぶれも変わった。犬ブームの時は、犬を遊ばせながら立ち話が多く、犬のことだけでなく世間話で、それぞれの人生も、ある程度知ることが出来た。犬が居ないと、人は挨拶だけ交わし、黙々とすれ違うだけで、ああ、この人も定年か、と思うだけである。団塊世代の、コミュニケーションの失われた職場での環境が、老後にも引きずっているようだ。
1日
自民党の中にも、正直に「仕分けは面白い。なんで自民党はやらなかったんだろう」という議員がいる。無理やり批判しようとして、わけのわからない屁理屈をつけるよりよほどいい。ところで自衛隊の制服など、服装について要検討となった。ユニクロに発注したらどうだ。なんなら、防衛大臣が中国と掛け合って、人民軍仕様の服を輸入したら随分コストダウンになる。もちろん今受注している日本の業者は困る。しかし、自衛隊など、いわゆる官の仕事をしている業者が如何に甘い汁を吸っているか私は知っている。せめて自由競争入札にすべきである。
先月へ